うらごえの裏声

へっぽこ院生の日常

この問いは誰のものか

突然ですが,研究していて「自分って何のために研究してるんだろう……」ってなったことありませんか。私は不出来な院生なので,割としょっちゅうあります。自分のやってる研究で,何がわかったんだろう……何が面白いんだろう……いつもそんなことを考えては辛くなります。

もちろん,単に自分の勉強不足ということも十分にある。つなぽんさんのブログで指摘されているように,「知識不足で当該研究の意味や面白さがよくわかっていないために、その研究が無価値だと感じてしまっているパターン」というやつである。だから実際に少し自分のやってる研究テーマに関して,例えば理論の勉強をするとか,ちょっと違うけど似たようなことを扱っている研究とか,そういうことのを取り込んだりすることで,「お,実はちょっとおもしろいんじゃないの?」と思い始めたという経験もあるにはある。

で,仮にそのちょっと増やした知識で自分の研究が少し面白そうと感じたとしよう。その問いは果たして自分の問いなのだろうか。たしかに先行研究によって自分の研究を位置づけることは大切なことだ。先行研究を整理し,問題点や残された課題を指摘し,それを修正した上で新しい提案をするというのは科学の基本的な営みだ(とされている)。でも,結局それって,先行研究の問いであって,自分の問いではないんじゃないか。そんな気が常にしてしまうのだ。

なんで突然こんなことを書き始めたのかというと,こんな記事をふと目にしたから。

wired.jp

タイトルには「常識」とありますが,本文の言葉で言うと「一般人の素朴な疑問」の感覚を持て,ということのようです。以下一部引用しますが,ぜひ全文読んでみてください。

関西のおっちゃんにヒッグス粒子の話をしてみてください。絶対に「で、何なの? それが何やねん?」と聞かれます(笑)。そういうシンプルな問い、いわば、もって生まれた「常識」を起点として「自分がやっていることは、いったい何なのか?」と自らに問いかければ、細かくはならずに深くなれる、そう信じているんです。一般人の素朴な疑問、つまり常識的な感覚を学者はもつべきなんです。自分自身を一歩離れたところから考える機会は多ければ、多いほどいい。

結局先行研究から生まれた問いって,物にもよるけど,セオリーインターナルな問いだったりするし,既存の研究の問題点や課題を指摘していくってことは,悪く言えば「重箱の隅をつつく」行為(「悪く言えば」ですよ!)。だから,その当該分野とかでは意味のあることなのかもしれないけど,結局それって要するに何がわかってどう面白いん?ってなったときに,分野の中のことばでは説明ができるけれど,分野という保護を離れてしまうと,結局何なのかよくわからなかったりする。だから私は専門外の人に自分の研究を説明するのがすごく苦手。

自分の問いを持っている人は強い。その問いというのは,先行研究がどうこうとかじゃなくて(もちろん先行研究もいっぱい読んだのだろうけど),こういう「素朴な疑問」から来ていることが多いような気がする。そういう人の問いは,シンプルだし,面白い。今まで考えたことなかったけどよくよく考えたらたしかに不思議だ,面白いなとなる。そして何よりそういう人は研究を楽しんでいるように見える。

翻って自分の研究を見たときに,結局自分の研究の出発点は先行研究だし,セオリーインターナルな話なのである。先行研究の問題点と課題を指摘して,修正するという典型的なパターン。「先行研究にはこういう問題があって,解決しなきゃいけないから,こういう研究をした結果,こういうことがわかりました。」というやつ。でも,それは自分の問いから出てきたものではないから,やっていてどこか面白くない。研究発表をすると面白いというコメントはそれなりにもらえるので,まぁ分野内的にはそこまで悪いわけではないんだろうけど,どこか自分のものじゃないような,そんな気がしてしまうのである。じゃあ他の問いを探したら?となるわけだけど,なかなかすぐ見つかるものでもないし,そもそも博論書いてる学生がやることじゃない*1。終わったら一旦ゆっくり考えたいとは思っているけど。

先行研究の批評はそれなりにできるつもりではいる。問題点を指摘する訓練は院生時に結構がっつりやるし,そういったところから新しいテーマを見つけることは多分できる。でもそれって単なる「批評家」に毛が生えただけでしかないよなぁ。友人の指導教官が「批評家になるな,プレイヤーになれ」と言っていたという話を聞いたことがあって,自分の中でも結構気をつけてはいたりするのだけど,結局やっていることは変わらない。いつになったら批評家から抜け出すことができるのだろうか。あるいは一生このまま批評家なのだろうか。そういうことを考え始めると,やっぱり研究者になるのは向いてなかったのかなぁ,なんて弱気になったりするのである。

【追記】書き上げて公開してよっしゃ寝るかと思って布団に入ってから色々考えた結果,どうも「現象ベースは正義,理論ベースは悪」みたいな感じの書き方になってしまったかなぁとちょっと反省。もちろん先行研究の問いからとか理論ベースで自らの問いをしっかりもってやってる方もいらっしゃると思います。なので,理論をどうも自分のものにできていない悩める院生のつぶやき程度にとらえていただければ幸いかなと。あとは「理論」の強固性というか,どの程度しっかりしているのかというところも関連してくると思うので,分野とかそれこそ同じ専門の中でもどの理論に寄って立つかで話は違ってくるのかもしれない。まぁいずれにせよ要するにまだまだ修行が足りないんだなぁ。

*1:一応今度の7月に博論を出す予定になっている。果たして間に合うか?!そもそも間に合うの定義は!?