うらごえの裏声

へっぽこ院生の日常

色鮮やかなことば

私は本が嫌いだった。まともに本を読む習慣がついたのは学部に入ってからだ。それ以前に本を読んだ記憶は本当に学校の読書感想文の課題くらい。あれほど苦痛なことはなかった。

学部に入ってからも,基本的には読む本は専門書とか論文みたいなちょっとお硬いやつ。小説とか文学は全然興味が出なかった。

大学院に入って論文を読む量が増えた。息抜きの読書も,ちっとも理解できやしない脳科学の本とか,進化論の本とか,そんなのばっかりになった。小説にちょっと手を出してみたこともあるけど,あんまり長続きはしなかった。

論文を読むという行為は論理を追う行為だ。著者が紡いだ論理の道筋を,丁寧に追っていく。時にその論理は迷路のように複雑で,簡単には追えないときもある。でも,書き手によってはとてもきれいな一本筋が見えたりするときがあって,そういうときは「おおこの論文はすごい」となる。

でも論文の迷路を歩いていくことは,冷たいコンクリートの間を彷徨う感覚に似ている。モノトーンで冷たい壁の間をひたすら歩いて行く。そこには情景も何もない。ただただ様々な事実のようなものが淡々と並べられているだけ。

最近とある人の文章を読んだ。その人の文章は情景に溢れていた。その人の紡ぐ言葉ひとつひとつが鮮明な世界を描き,まるでその場に身を置いたような感覚になる。色は鮮やかで,温かい。どうしたらこんな文章が書けるんだろう。そんなことを思った。

たぶんこれからも冷たいコンクリートの間を彷徨う人生なのだろうし,実際自分が書くのもきっとそんな冷徹な事実のようなものが並べられた味気のないものなのだろう。研究の世界ではそれが求められている。だから今更自分がその世界から脱せるとは思えないし,脱する必要もないと思っている。でもたまには色鮮やかな温かいことばに触れるのもいいかもしれない。そんなことを考えたりしつつ,今日も論文の要旨を書いている。